戯言

2006年12月

今年は1月3日グランドオープンという商業施設の案件に関わったので帰省なし。江戸におります。海外行ったせいか曜日感覚を喪失していて、昨日は土曜なのに更新してしまったので、勢いで今日も。 昨日も相変わらずポツポツと仕事。オイラの担当範囲ではないところではまっているらしいのだけど、年末ということもあってオイラが調査せざるを得ず。調べてみると SunOS 5.9 の sendmail の設定がおかしいですよ。でも、サーバ設定はオイラの担当じゃないので「おかしいよ」とだけ連絡して外出。不親切に思われるかもしれないけど、サーバ系は下手に手を出してミスすると後々まで責任負いかねないのでね。これが大人の生き方。 18時を回ったぐらいからテクテク散歩&リハビリも兼ねて買い物へ。通るたびに気になるのだけど、広尾の和民の客層ってどういう人たちなんだろう?と。わざわざ広尾まで行って和民?近所で働いてる人、っていうのも周辺の店や会社の雰囲気からは想像しにくいんだけどなぁ。そんなことを考えながら南青山七丁目に差し掛かった頃、前方から小柄なオネーチャンが真っ直ぐにオイラを見て近づいてくる。 「うわー、誰だろ。思い出せねー。やべー」とか思ってたら何やら声を掛けてきたので軽く焦りながらイヤホンを外す。 「この辺りにお住まいの方ですか?」結構カワイイ感じで上目遣いがgood. どうやら道に迷ったのか店を探しているのかそんなところみたい。 「いや、違いますけど、今、正月過ごす酒でも買おうかと、ちょっと渋谷まで歩こうかなと30分ほど歩いてきたところなんです。でも、この辺りは結構歩きつくした感があるので道に迷ったんならお教えできるかもしれませんよ」ぐらい言おうとしたら、「いや、違いますけど、」ぐらいで食い気味に「あ、すみませんでした」と逃げるように去っていってしまった。 オイラもイヤホンを戻して散歩復帰。確かに19時過ぎに手ぶらで歩いてたら近隣住民かなぁ。それにしてもちょっと萌える感じだったなぁ、追いかけて道案内すればよかったかなぁ、惜しい申し訳ないことをした、と反省しながら渋谷到着。 渋谷の駅前は心無しか空いている気がした。ハンズで風呂場掃除用のブラシを買って、Foodshowへ。Foodshowは年の瀬ということもあってか激ゴミ。それも普段と違う人種が多いのかあちこちで渋滞。とりあえず日本酒を見に行ったんだけど、あんまいいのが無いなぁ、ということで加賀鳶の千日囲いを。本当は李白が欲しかったんだけど、純米大吟が売り切れてた。 帰宅したらamazon到着。PLUTO 4巻である。1巻が2004年9月、2巻が05年4月、3巻が今年3月、そして4巻がやっと26日に出たところ。順調に年1巻ペースである。いつ終わるんだろ…余りに時間が空くので新しいのが出るたびに全部読み直さなければならないという面倒くささ。でも、実家に幼少の頃から手塚治虫全集があった身としては落とせないところである。 つーことで、今日はPLUTOでも読みながら過ごすか。折角江戸にいるからアメ横に行ってみるかなぁ、とか思ってるんだけど人ごみ嫌いだしなぁ(どっちやねん

第39回。ゲストは高橋ジョージ。 ElvisファンということでElvisづくし。オイラの世代だと知ってはいるけど、興味としては正直ぜんぜん縁が無いんだけど、さすがバラエティの中堅だけあって話は面白い。ってかこの人、歌手やってるんだっけ?もはや三船お嬢様のダンナという肩書きがメインな気が。 Vegasでケコーン式やるとElvisが神父やるってのは初めて知った。後、東スポ的な「Elvisは生きている!」の証拠的小ネタも。 次回は嫁の三船美佳だそうな。夫婦でよー稼ぐね。

ノロウイルス患者、4週連続最多 伸び率は鈍化 小学校低学年の頃、終業式の度にぶっ倒れてた。学校は皆勤。ただ疲れ果てるのか、終業式が終わると次の日か2日後ぐらいに寝込んでしまうのである。 オイラのオフィスは27日が締めだったんだけど、朝から少し気分が優れない。が、一緒に仕事したおねーさんにランチに誘われてたので行って、夕方からは世話になった会社の忘年会へ、と思ったのだけど、どうにもすっきりしないので、途中ドラッグストアによって液キャベを購入。飲み干して向かったら北京ダック屋。少し遅れて行ったので、勧められるままに1本(?)巻いて食ったんだけど、もうあの春巻の皮みたいなのの粉っぽさが気分悪くて。とりあえず黄金色の液体を飲みまくって2時間ほどを耐え抜いて、その後2次会も酒でごまかす。忘年会が17時からだったこともあって、もう1軒行くとか言ってたんだけど断って帰宅。 疲れてるんだなぁ、と23時頃早めに横になったのだけど、「むむっ」という感じで起きてトイレへ。見事に液状。来たよ、奴だよ。戻ってきて時計を見ると0時半。うひー。 その後も1時間毎にトイレを往復してラストが3時半。これですっきりして6時半まで寝ることが出来た(6時半に目が覚めるのはいつもの習慣)。 ここで、ライフカードのオダギリ並に「過労」「食あたり」「ノロ」の3つの選択肢が頭の中を巡る。実は帰国した日に作ったサラダが残ったのを次の日の晩飯に食ったんだよね。でも冬だし冷蔵庫入れてたし問題ないと思うんだけどなぁ。でも3時半でスッキリしたってことは食あたりか?とか思いながら朝飯食ったら又も下痢。ううむ。 昼過ぎになっても嘔吐も吐き気もないものの腹具合は悪いまま。KEi-sangと話してたら「病院行った方がいいんじゃね?」ということで、言われるままに病院に行くことに。ノロじゃないとしても、ウイルス性なら市販の整腸剤では治りそうにない。 歩いて10分ちょっとの病院なんだけど、本日初めての外出ではたと体力ダウンに気がつく。坂道がきつい。どうやら軽い脱水症状か。 オイラはほとんど医者にかかることがないので、この医者も引っ越して来て初めて行く医者。ついたら待合室でおばちゃん二人があーだこーだ喋ってて、オイラはその横を通って「初診なんですけど」と保険証提出。問診表みたいなのを書いて、おばちゃんたちと一緒に座って待ってたら、片方のおばちゃんが立ち上がって「じゃ、こちらにどうぞー」とのこと。「お前が医者かよ!!」と三村ばりのツッコミを心のうちで入れつつ診察室へ。別に心音聞くわけでもなく、問診だけでノロ対策の処方決定。というのが、嘔吐だけだろうが下痢だけだろうが、両方だろうがノロ対策処方をするように厚生省だかの指導が出てるとか。ちゃんとした検査も出来るけど2万かかるし、結果が出る頃には治ってますからね、と言われてなるほどそうだな、と思う。しかし良く喋るおばちゃん女医で薬のことやら何やら色々詳しく説明してくれた。こういうコミュニケーションも大事なのかもね。 食わなきゃ体力つかないと言われて、変にロジカルなオイラは晩飯をモリモリ食ってみた。昔から食欲無いから食べれない、ということは滅多になくて、気分が悪くても食べなきゃいけない、と思えば食べられるのが我ながら良いところだ。今日は抗生物質を飲むと却って下痢が酷くなるかもしれないから、下痢止めだけ、明日から抗生物質を飲んでください、と言われて素直にそうして寝たら快眠。 今朝起きたらなんともないのだな。むむ、抗生物質まだ飲んでないし… 1 やっぱり過労か食あたりだった 2 ノロ(もしくはウイルス性腸炎)なんだけど下痢止めが効きすぎてるだけ どっちなんだろう…

フィジーは前述のように経済が弱いので、観光はとても大事。ということで、所謂リゾートホテルというのがいくつもある。ナンディを拠点にトンガとかビチレブ以外の島に行く人は空港近くのホテルを使うようだけど、多くのリゾートは南海岸線沿いに存在する。

フィジーに行ったことのある知人に聞いて、とりあえずベタで間違いないのは Shangri-La's Fijian Resort だと聞いたので、それで。出発直前までバタバタしていたので、ガイドブックも一切買ったり読んだりできず、とりあえず向かった。

■到着

レセプションまで代理店に送られて、チェックイン。フロントには木と布で作ったクリスマスツリー(?)があって中々の雰囲気。オプショナルツアーがどうたらとか言ってるのを無視して部屋へ。Fijian は3階建て程度のアパートのような建物が海岸線に沿って建っていて、ポーターに荷物を持って行ってもらう。後には慣れたんだけど、この時のポーターの歩きが異様に遅く感じられて。大阪梅田の朝の雑踏で小学校時代に鍛えられた感覚から行くとありえない遅さ。190cmは固くあるでかーいおっちゃんがゴーロゴーロとトランクを押してゆっくりと歩く。部屋についたら簡単に部屋の説明をしてくれて終わり。

今回の旅程は5日。でも行きは夕方発の翌朝着、帰りは朝発の夕方着なので、フィジーで過ごすのは実質3日。そもそもリゾートで何もしないで過ごす、というのは初挑戦なので、3日ぐらいでいいだろうと。

■過ごし方
以前、ハワイ(オアフ島)に行ったときは、何か中途半端に落ち着かなくて良くなかった。積極的には二度と行くまいと思ってる。そういう意味ではフィジーも不安だったんだけど、ワイキキみたいに車がびゅんびゅん走ることもないし、買い物やらケコーン式やらとやたら商業的なものを目にすることもない(ケコーン式は1回だけインド系カップルをチャペルで見かけたけど、ハワイなんて椿山荘並に入れ替わり立ち代りだったもんな)。
Fijian は Yanuca という島が丸ごとホテルの敷地になっていて、敷地から出なくてもプールが3つ、テニスコート4面(2面工事中)、9ホールのゴルフコース、レストラン2つ、バフェ1つ、その他バーなどがある。ゆっくり散歩すると1周1時間ぐらいかな。行ってみて意外だったのは、1日中沖のほうの波の音なのか、ゴーという音がしているのと、鳥の声が良く聞こえること。また、鳥以外にも蛙やヤモリ(?)のような動物が見られる。

テニスコートやゴルフのラウンドは無料(ラケットやクラブは有料で借りる)なので結局島に引きこもりで、テニスしてプールサイドで寝る、ゴルフ周ってプールサイドで寝る、といった感じで3日間を過ごした。カヌーとかも無料で借りれるんだけど、3日目に借りようと思ってたら、プールサイドで熟睡してしまい、17時ぐらいにいったら too late ということで乗れなかったのが残念。プールはクーデターの影響もあってかがら空きで快適だった。ちなみに3つあるうちの Takali Pool というのが Adult only なので静かで落ち着いている。脇に小さなBarもあるし。

テニスデビューしたんだけど案外ムズイな。今度からテレビ見ても浅田美代子とか笑えない。
5年ぶりぐらいにやったゴルフのスコアは秘密。改心の一撃は9ホールやって3ショットぐらいだった…てか、貸してくれるクラブのアイアンがどれも重たいのよね。恐らく、NZとかAUS辺りの肉食ってる奴等に合わせてるんだと思われ。コースはグリーンの整備などは日本のコースと比べるべくも無いけど、眺めとホノボノ感は中々で、「これなんてワイアラエの奇跡?」って感じであった。

一緒に連れてこられた日本人は10人をくだらなかったはずだし、他の旅行代理店で来た人もいるはずなんだけど、昼間はほとんど日本人を見かけなかった。ゴルフで老夫婦を一組見かけた(結構うまい)けど、他の人たちはオプショナルツアーで朝から島を出て行くらしい。なんかモッタイナイなぁ。

■食事
ご飯は案外安くないがメチャクチャ高くも無い。一番いいレストランでちゃんとdinner食べて客単価5〜6000円ぐらいか。向こうの体格に合わせてあるのか量が多いのよね。味はまぁまぁだけどちょっと薄味かな。必需品で高いのが水。一応水道水も飲めるとのことだけど、軟弱日本人のお腹には不安なので、ボトルで買う。これが、島の外と内側で3倍ぐらい違うので、出来れば来る途中で頑張って1.5リットルを3本〜4本買ってきたほうがいいんだろうな。おいらは2本しか買ってなかったので泣く泣く1本買い足した。
ビールはFiji Bitter と Fiji Gold という地元ビールがある。飲んだ感じは Budweiser みたいな薄い感じなんだけど、慣れると結構良い。晩飯のときに1回ワインを飲んだ以外は、おいらはずっと Fiji Bitter か Bounty-Rum というフィジーのラム酒ベースの Rum&Cokeを飲んでた。Rumはサトウキビから作るのよね。Rum&Cokeは軟派な気がしていたので飲んだこと無かったんだけど、ラム酒ダブルで作ってもらったのをプールサイドで飲むとご機嫌

■ネットワーク
部屋にはEtherの口があるのでケーブルを持っていけばLaptopを接続できる。ケーブルは借りることも出来る。接続速度も中々速い、はずだったんだけど、何故かオイラの部屋では接続できず。同じPCとケーブルで、ビジネスセンターでは接続できるのに、部屋では出来なくてフロントに電話したら「OK, ITスタッフを18時〜18時15分ぐらいに行かせるよ」と言っていたので待っていたら18時20分ぐらいに当のITスタッフから「これから行くよ」と電話がかかってくる。そんな時間感覚。
で来てくれたのがインド系のカムレシュ君(だったと思う)。彼の持ってきたNotePCは即繋がるのにオイラのは繋がらず。彼がオイラのPCに色々やっても無理。オイラは横で、日本語Windowsのボタンとかをひたすら訳してあげる。「構成」は"Configure"とか「更新」は"update"とか。
で、そのうち彼が「この建物の端にSwitchがあるからそのNote持ってきてよ」と言って部屋を出るので、オイラも自分のPCを持ってついていくと 19-inch ラック登場。「これが君の部屋に行ってるケーブルだよ」と抜いて、そこにオイラのPCを直結するとこれが繋がるんだよな。"strange"と繰り返しながら部屋に戻るカムレシュ君。てか、オイラ、フィジーまで来てなんで Switching Hub いじってますか??? 19時を過ぎたので、飯を食いに行くというと、「じゃあ戻ってきたら内線くれよ」という。
21時ごろ帰ってきて内線したら、まだ待っていてくれて、やってくるなりボードのLink Speedを10にしたら何とか繋がった。でも不安定。まぁ、これ以上やってもらってもなぁ、ということで「とても助かったよ」と言って帰ってもらう。いい人だ。
何故か15日に納品完了したはずの案件の仕様が出発当日(21日)になって「変えてください」ってことで、成田でWi-Fiで離陸ギリギリまで作業、ホテルで2日目まで部屋に戻るたびにメールチェック&作業という状況。ホント、勘弁してよね。

■海
Yanucaはビチレブの南側にあるので、島の南側は南太平洋に直で面してる。沖合いまでは波が高いことはあるみたいだけど、珊瑚などの影響か浜辺でそんなに強い波は来ない。砂は白い。神戸育ちのオイラには白い砂浜は当然なのだけど、関東の砂浜はグレーなので、珍しく感じるかも。

水は異様に綺麗。太腿ぐらいまで水に入っていると股間を魚が抜けていったり、砂浜をヤドカリが歩いていたりと中々できない経験が出来る。しかし何で無駄に派手な原色なんだろうねぇ。濃紺のヒトデとかキモイです。

■タバコ
部屋は全て禁煙。レストランなども禁煙だと思う。吸ってる人は3日いて1人しか見かけなかった。そういう意味でも中々快適な場所。愛煙家にはつらい場所かな。部屋のベランダには灰皿があったような。

■クリスマス
フィジー系のほとんどはキリスト教徒なので、「マジメに」クリスマスを祝うようだ。マジメ、というのは家族で過ごすってことね。クーデターの影響でクリスマスシーズンの予約は前年比30%ダウンというニュースを帰国してから見たのだけど、それでも24日になるとやたらとインド系フィジー人の家族連れを見かけるようになった。インド人にクリスマスは関係無さそうだけど、クリスマス休暇をリゾートホテルで過ごす、ってところだろうか。でもやっぱりフィジー系の客を見かけないところが経済格差なのかも。

■おもてなし
前にも書いたけどフィジー人はあまり効率的とは言えないし、間違いも多い。時間もそんなに厳密じゃない。
カクテルを二つ頼むと、作ってくれた後で「で、もう一つはなんだっけ?」と聞いて来たり、おかしかったのは Rum&Coke をプールサイドまで持ってきてくれたらマドラーが逆さに入っていたり。ビーチサイドで軽食を取ろうと座ったら、オーダーとった後でオバちゃんがテーブルを何度も数えなおしたり(テーブル番号が分からなくなったらしい)。でも、怒る気にならないのは気候なのか彼らの笑顔なのか。

関係ないけど向こうの男の人は声が高い。女の人も体格の割には高いかなぁ。後、男同士はやたらと握手したり手をつないだりする。

■総括
のんびり過ごしてリフレッシュするにはとても良い所。オイラは仕事を持ち込まざるを得なくなったので少々落ち着かないところがあって残念だったけど。Fijian自体は3日あれば満喫できるかな。もう少しいるのなら、マナ島などのオプショナルツアーで外に出てもいいのかもしれず。

帰国して空港ロビーに出たら、次のNEXが7分後ということに気がついて荷物を持ってダッシュ。急に東京の忙しなさに巻き込まれてリセット。

きっかけは忘れたのだけど、数年前からフィジーに行きたいと思っていた。一昨年だか去年だかの年末に行ってみようと思ったんだけど、正月挟んでは8日間とかのコースしかなかった。今も忙しいけど当時はもっと忙しかったので8日も行けませんと。で、却下してRomaに行ったんだっけなぁ。だとしたら一昨年か(記憶力0)
今年はかなり早めにチェックを開始してHigh Seasonが始まるギリギリ前の日程を予約。
ちなみに直行便はAir Pacific1社でNRTからだと週3便しか飛ばないので、AirとHotelを自分で手配しても余りおいしくないと思う(組み合わせが限られる)。安く行くならインチョン周りで大韓航空があるようだ。

■地理・気候
Air Pacific はNRTを夕刻に出て、8時間ちょっと飛んで朝方にNANに付く。NANってのはナンディ国際空港。フィジーは300以上の島からなる国なのだけど、ビチレブ島という島の北西にナンディがあり、南東にスバという首都がある。今回オイラが行ったところもそうなのだけど、所謂リゾートホテルというのは本島の西から南海岸線に沿っているので、ナンディから入ると首都を通らずにホテルに行って、首都を通らずに帰ることが可能。小さな国だと大抵の国際空港が首都の近くに作られるのに、フィジーは異例なのかな。

スバの近くにも空港があるけど、こちらはNZとかも含めた近隣諸国との交通がメインなんだそうな。
ちなみにNANからLAXまでは10時間、HNLから6時間ぐらい。時差は+3時間。中々日本から未来へ飛ぶってないよね。

で、当然ながらフィジーに向かって飛んでいっても眼下は雲か海しか見えない。これが8時間以上たつと急に緑色の島がポツポツでてきて、そのうちでかい奴にドドーンと着陸する。あんだけ何も目印になるものがないのにちゃんと着くというのは、科学の力では当たり前だけど、何となく不思議なもの。大航海時代でリスボンからサントドミンゴを初めて目指すときの不安さを思えばなおのこと(何のこっちゃ

空港について飛行機を降りると、日本とかと違って柵はあるけど壁のないオープンな廊下のようなところを歩いてターミナルへ。年間通じて平均気温25〜27度というのは知っていたので、機内で半袖になってから降りたのだけど、思ったより湿度が高い+ココナッツ系なのか南国のかほりがする。んで、ターミナルでは入国その他があるのだけど、神戸空港と同じかちょっと規模が小さいぐらいかも。でも、男も女もみんなでけぇ。審査とかは基本的に五月蝿くない。パスポートチェック受けて、検疫がいるものは持ち込んでませんよカードを渡すと終了。「こんにちわ」の代わりに、誰にあっても目が合ったりすれ違うときには"BULA"と言えばよい。「ぶらー」と少し伸ばす感じか。
通貨はフィジードルなんだけど、日本国内では成田でも両替できないので、フィジーについてから両替。1フィジードルは65円ぐらいだったと思う。

■人種
実はフィジーは複雑な国で、人口の約半分が昔からのフィジー人、残り半分がインド系とのこと。有名なフィジー人というと、ワイセレ=セレビとビジェイ=シン辺りしか思いつかないのだけど、前者はフィジー人、後者はインド系。インド系といっても、昨日今日の話ではなく、19世紀末にイギリスが植民地として支配したときにインドから強制的に連れて来たんだそうな。一説には、サトウキビ畑を作らせるのに、どうにも現地民が働かないので勤勉なインド人を連れてきたとか何とか。で、そのまま彼らの子孫が根付いているとのこと。この2つの人種は決して仲がいいとは言えない様である。
フィジー人は英語とフィジー語、インド系は英語とヒンドゥー語を喋る。ちなみにインド系の英語はやっぱりインド訛り。電話でやり取りするのは大変。フィジー人の英語もなんだろうちょっとローマ字っぽい感じかなぁ。まぁ、俺様が言えた口じゃないけど…
国内ではインド系の方が経済力に優れているらしく、人種間の格差が問題なんだそうな。そういえば気のせいか、空港内はほとんどがインド系だった気がする。
見た目で行くと、男はお腹がぼってりして、頭が四角いのがフィジー人。細身で彫りが深いのがインド系。女性は分かりやすくて、小柄でウエストが締まってて目が大きいのがインド系。幅も厚みも高さもあってアフロっぽいのがフィジー人。

■産業
産業は観光とサトウキビ、繊維、金と砂糖が少しといったところらしい。いわゆる重工業は無いようで、車はバカ高いみたい。土産屋のにーちゃんと話してたら、日本車が多いけど日本の新車なら大体4倍(日本で200万なら800万円相当)ぐらいすると。その為、スクラップ寸前の日本の中古車を持ってきて部品取りをしたりする修理業者が結構多いとか。ちなみにイギリス植民地の名残だと思うけど、車は右ハンドルの左側通行。バイクは見かけなかった。渋滞もなさそうなんだけど、空港を出るときに前が詰まって、何かと思えば「サトウキビ列車通過中」とのこと。サトウキビを畑から工場に運ぶそうな。しょっちゅう脱線するらしい。
300以上島があって、マクドは3軒とのこと。

■政治
日本ではほとんど報道されなかったんだけど、12月5日だかにクーデターが発生。理由とかは複雑なので割愛。興味があれば飲みながらでも話すよ。
端的に言うと軍の司令官が首相のやり方に憤慨して軍を動かして、首相を出身地の島へ追いやってしまったのね。で、フィジー指導者評議会(GCC)というのが支持してくれると思いきや乗ってくれず、アナン事務総長やらAUSやNZをはじめとする国際社会からは総スカンを食らっているという状況。なんつーか、皆俺についてくるだろうと思ってやってみたら誰もついてきてくれないという悲しい状況。coup d'e'tat は迅速に政権がひっくり返らないと成立しなくて、長引くと内戦になっちゃうみたいなのだけど、発生3週間というところで丁度境目かな。
まぁ旅行を予定していた身としては冗談じゃないのだけど、着いてみると拍子抜けするぐらい緊張感が無かった。ホテルに向かう途中にテントみたいなのを設営してる軍隊がいたけど、オイラ達のバスを見たら作業をとめて両手を振りながら白い歯を見せて笑いかけてきた。なんだこれ

到着した次の日に見た新聞には「軍司令官とGCCが会談することに合意した」「クリスマスまでは警察(首相派)と軍隊が協力して警備を行う」なんて記事があったので、軟着陸をはかっているっぽい。

新聞の1面が右、左側は日本だとテレビ欄があるページだけど、スポーツページのトップ。大きく出ているのがセレビで、どうやら南アのチームからコーチの要請があって、行くことになりそうだ、との記事。15人制ではディフェンスが弱いとか色々言われたが、7人制では神のような存在で、新聞でもLEGENDと書かれている。テレビでもHongkongで優勝したときのビデオが流れてた。

■ラグビー
空港からは旅行代理店にホテルまで送ってもらう。何故か旅行でトイレ休憩と言うと土産屋に連れて行かれるというシステムは世界共通らしく、上述の土産屋も空港からホテルまでの送迎の途中で強制的に降ろされたもの。土産など目もくれずに店員のおにーちゃんにラグビーの話をしたら妙にテンションが上がって、おにーちゃんは仕事を忘れたらしい。フィジー人はラグビー好きである。ビジェイ=シンもプロゴルファーだが趣味にRugbyと書いている。
フィジーは来年のワールドカップで日本と同じPoolに入るという話をしたら当然のように知っていて、「この間日本に行って負けたけど、あの時は他の国のリーグでやってる選手は連れて行かなかったからね」と本番は勝つぞと言わんばかりに宣戦布告されてしまった。その他、RokocokoやSivivatu, Lote Tuqiriが他国代表に取られていることには憤慨しているようで、「本当はMaoriは弱いんだよ!」「出身地で代表を組むようにすればFijiだってTongaだって十分強いのに!」と偉くテンションアップであった。そう言われるとオライリーとか入れてる日本の立場が…

■経済
ラグビー以外にも色々話したのだけど、どうやらフィジーの仕事は週給で払われるらしい。ローンも月額ではなく週額で設定されるようだ。週給5000円ぐらいとか話していたけど、それがいい仕事なのか、Standardなのかは語学力の問題ではっきりせず。余り突っ込んでもいけなそうだし。でも新聞に入ってたチラシを見ると、$169(約1万円)の自転車が頭金$25(1600円)の、週$3(200円)払いみたいなことが書いてあったので、それぐらいが標準なのかも。
月給2万円で、日本で100万の車が400万で売られているとすると、車なんか買えないじゃん、と言ったら「そうだよ。だから免許は会社の車を運転するためにとるんだ。僕は明日親戚の結婚式だからレンタカーを借りたけど」といった感じの返事。
植民地経済脱却ってのは大変だなぁ、特に生産国モードにされてしまった国は、とつくづく思ってしまったのことよ。ほら、信長で言うと、毛利辺りで始めて中盤に差し掛かったあたりの周防長門辺り。三国志だと益州辺りを突然独立国にして自前で経済回せ、っていうようなものだもの。

そんな経済状況なんだけど、人々、ことフィジー系の人々は明るい。でっかい体で大またでゆっくりと歩く。目が会うと、時に手を振りながら笑顔で"BULA!"、散歩していて車とすれ違っても運転手がこっちを向いて"BULA!"
どっちかというとインド系は恥ずかしげに言うけど、フィジー人は遠くからでも手を振りながら甲高い声で「ぶぅら〜」と挨拶してくる。
仕事は効率いいとは言えないし、間違いも多いけど、誰も咎めないんだろう。
BULA以外に使うのは Vinaka (ありがとう)。「ヴぃなか」は「どういたしまして」も兼ねてるっぽい。店員に持ってきてもらって"vinaka"というと、向こうも"vinaka"という。

つーことで、トイレ休憩という名の土産屋で水を3リットルほど買って出て宿まで送ってもらった。(つづく)

東京に帰ってきてからとたんに忙しない。

書きたいことは色々あるけど、今日はとりあえずこれでお茶を濁そう。

非常ボタン見かけないなぁ、と思っていたらプールサイドで Rum&Coke を飲んでフラフラ部屋に向かっているときに見かけた。正確には非常スイッチ。

しかし押すことが未来永劫になさそうな空気が流れる。てか走るフィジー人って見かけなかったし。

関係ないけど昨日アレサ=フランクリンのネタをふったらJBが亡くなってしまった(てた)のね。冥福をお祈りするのみ。

別に基督教徒でもないし、クリスマスを迎えようとした訳ではなく、単にHigh Season 寸前の予約をしたらこういう日程になった。

南国で聞くクリスマスソングも悪くない。

てか、約1名アレサ=フランクリンが混じっている気がするが。

はるか北方でコンビニが売れ残ったケーキを叩き売り、ホテルが馬鹿ップルで埋まる頃、波の音を聞くのも悪くない。

めっきり蒸し暑くなってきましたね。

冬至って南半球では夏至なのかなぁ、と考え出して良く分からなくなりながら1日が過ぎる生活。
12月に西瓜が食べられる幸せ。

第38回。ゲストは The Collectors って誰? Modsな人たちらしいのだけど、Modsって「音楽よりも衣装」って感じでなんだかしっくり来ないのだよな。ファッションならファッションだけでいいんだけど。 何か悪い人たちではないのだけど、イマイチ親しみがないって感じね。 そんな中、ローリーが宣伝で出してきた「恋の1,000,000$マン」にグッと来た。 1990年の曲。Openingだったんだろうか、今や伝説のごっつええ感じで使われてた曲だよなぁ。違ったっけ? ごっつで思い出したけど、この間、週末に目黒のHMVに行ったら、近頃はCDの試聴だけじゃなくて、DVDの試視(?)もできるらしく。学生のようなおにーちゃんがヘッドホンをして必死に笑いを噛み殺してた(なるほど笑いを噛み殺すってのはこういうことかって感じで)ので気になって画面を見てみると、ガキつかの「絶対に笑ってはいけない高校」のジミー大西のところ(リンク先はYouTube。未見の人は必見)を見てた。 笑ったら罰ゲームという企画のDVDを大声で笑えない公共の場で見るのは自らに課した罰か。Mっ気があるのかね。 オイラはHDRにとってProtectしてあるのでいつでも見れるが。そういえば今年の大晦日は日テレは「笑ってはいけない警察署」で勝負するようなので楽しみ。

先日、知り合いの社長さんに依頼されて謎の会合へ。霞ヶ関の課長さんを囲んでお話を聞く、といった「勉強会」だったのだけど中々眠かった。面白かったのは話の中核じゃなくって 「役所に働きかけて自分だけ利益を得ようと思っても絶対無理ですからね」 という一言かな。なるほど確かにそうかも。だから役所じゃなくて政治家に働きかけて役所にプレッシャーかけるわけだな。 中央官僚と縁の無い人間にはピンと来ないのだけど、課長さんと言うとかなりエライらしいのである。昔、通産省(現経済産業省)の課長さんをご紹介頂いた時に、「課長」っていうからちょっとエライぐらいだと思ってたら、紹介してくれた大手企業の役員がやたらと恭しくしているのが不思議だったのだけど、後で聞いたらかなりエライと。 で、課長さんは40半ば。20年近く役所勤めの臭いは発言のそこかしこに感じられて新鮮であった。日頃会うのは企業の社長やらエッジの立ったブロガーだったりなのだけど、役人さんの立場は批判される側。ひたすら調整と現状に即した法改正や規制を作成する側なので、「新しいことやるぜぇ」という勢いはカケラも無い。「新しいものが出てきたから、どうするかねぇ」というのが基本のスタンス。それが全ての言動に染み付いているのである。 一方で会合の後で知り合い社長さんの古い友人という某大手広告代理店の人と少し話をする。この人も大手代理店一筋20年の人らしく、そこかしこに大企業の臭い。「事業の出来る人間を採ってそこだけ残さなきゃダメだ」なんて熱弁するんだけど、いやいや御社と違って採用大変なんだよ、ほっといても「入りたいです!」なんて人間がワラワラ来るもんじゃないんだよ、なんて心の中で思う。 別れて帰るタクシーの中で社長さんが「やっぱ、あいつはほっといても給料もらえる人間なんだよなぁ」とポツリ。そうだよなぁ、ある程度の企業に勤めてれば、毎月25日に間違いなく給料が入るわけですよ。自分のミスで数千万の取引を逃しても、数百万穴を開けても給料もらえるわけで。(賞与査定は知らないよ) 数千万、数百万で傾く会社だって少なくないのだもの。みんな会社全体で年間数億の売上を追いかけて頑張ってるような企業が数だけでいえば大多数。 別に役人や大企業社員が悪い訳でも無くて、上のお二人とも自分の組織ではそれなりの階級に進んでいるので「優秀」なんだと思われる。実際、直接話してみて頭のよさは感じるし。ただ、ものの見方、リアクションに20年来の自分の周囲の環境からの影響が染み付いているんだな。 何だか、オイラは昔から海外で働くことを色々な人に進められたんだけど、その人たちが口を揃えて言うのが「幅広い視点が持てるようになる」ってこと。確かに望むと望まざるとに関わらず日本と違う経験をしなければならなくなるけど、それで失うものもあるはず。オイラが明日から35歳まで海外で働いたら、その間に得られたであろう国内での経験は得られないのである。小学校時代を海外で過ごした人間に日本での小学校生活が想像できないように。得られるものと失うものを比較することは出来ないよね。 オイラは社員1000人以上の会社を飛び出すことで、そういった会社で働いて身につく文化を得られてないのよね。この間同期と会ったときにも感じたけど。 そう考えると、視野が広がった訳ではなくて結局主観が変わって行くってだけなんだろうな。オイラもそこらの同年代に比べれば多種多様な「視点」から見てきたはずだけど、それは結局スポット毎に異なる歪んだ視野を持ったに過ぎないのかも。 そして、大企業の同輩が持っているような現状への不満をコアにした「もっとこうしたい!」といったエネルギーを失ったような気がする。他にも気づかないものを色々失ってるんだろうな。 人生終わるまで何が良かったかなんて分からん訳だし、他の選択肢だったらどうなったかなんて死んでも分からない訳だ。とりあえず、無駄に自分の立場と判断を自賛しないように気をつけよう。卑下する必要も無いけど。

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